バージニア・ウルフなんかこわくない(Who's Afraid Of Virginia Woolf?) 1966年
マイク・ニコルズ監督作品
エリザベス・テイラーうぜぇwww
戯曲を映画で表現するとはどういうことかを知るにはとてもいい作品。
映画史上はじめてfuckを使った作品としても、歴史的価値のある作品になっている。
ただ、それだけのこと。
ただただ、どうしようもない泥酔劇で、放送禁止用語と罵声が飛び交う2時間。
間違っても夜寝る前なんかにみると夢に出てくるw
当時、逃げ場のない映画館で見た観客の皆さん。お祈りメールを心の中で送ります。
「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」はアニメ「三匹の子ぶた」の劇中歌「狼なんかこわくない」の替え歌。
「満足な豚」という「タマネギの皮」をむき続けたら、なにも残らなかった。ただ、それだけのこと。
エリザベス・テイラーうぜぇwww
●満足な豚より不満足なソクラテス
・満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。
↓翻訳
・人間というのは、誰であれ、胸に手を当ててじっくり考えるのなら、低級な快楽と高級な快楽を見分ける動物だ。そして低級な快楽で満足する愚者(豚)になるくらいなら、そのような快楽を拒絶してでも、善き人間(ソクラテス)であることを選ぶ動物だ。もし愚者(豚)が、「そんな風には思わない。低級な快楽でも満足できる」と言うのだとしたら、それはまさに、その者が愚者(豚)だからだ。
●戯曲
舞台上の役者の言動に反応して、他の役者が反応する。
そんな、連鎖反応をひたすら続け、舞台上実時間の時系列に物語を紡いだのが戯曲。
プロットがしっかりしていないと、観客を完全に置き去りにする危険性があるため、演技や舞台装置ではなく、設定や物語の構造が問われる。
名作といわれる戯曲は数が少ない。
●プロット(ストーリーライン)
物語の構造。
ストーリーの要約であり、いわゆるまとめ。
出来事の原因と結果からなり、映画のプロットは三幕(始まり→中間→終わり)をターニング・ポイントで紡ぐ。
ストーリーは前後関係。まちがうと、構造解析できないので、要注意。
例)プロット
①犬が歩けば、棒にあたる。
②国王が亡くなった。そして、王妃は悲しみのあまり亡くなった。
例)ストーリー
①'犬が棒にあたる。それから、猫は棒をよけた。
②'国王が亡くなった。そして、王妃が亡くなった。
●物語のスピードコントロール
プロットのみでは観客の感情的な共感や動揺は得られない。
プロットに感情を肉付けしたものがストーリーであって、その肉付けを変えることによって、物語のスピードはコントロールできる。
物語のスピードをコントロールする必要のない、RPGゲーム(セーブあり)は感情を肉付けし放題。
心に残る名作が多い理由がここにある。
*小説はコントロールしないと間延びする。ゲームは総合芸術なので、間延びを満喫できる。好例がDQとFF。
感情の肉付けだけでなく、ゲーム内世界のすべてに生命(生活)を与えた鈴木裕はやっぱり天才。
そんなシェンムーは3部作だったけれど、生命(生活)を与えるにはSEGAの財布では不可能だったw
えっぶりどりーむ!かむとぅるううううううううううう!
全財産もってけ!!超楽しみ!